髪の毛より細い糸
手術室看護師 瀬戸 通弘
マスクとガウンに身を包んだ外科医が、手袋をした手であらゆる器械を使いながら手際よく手術を進めていくシーン。心臓外科の手術はドラマ化されることが多く、ブラックペアン、医龍などのドラマを見た方も多いのでは。今回はその中でもマニアックなところに注目したいと思います。それは「糸」です。
糸の性質
手術に使う糸は、その材質により2つに分けられます。「吸収される糸」と「吸収されない糸」です。「吸収される糸」は、一定期間しっかり固定されて、その後徐々に体内に溶けて吸収されます。皮膚などを縫うときに使用します。「吸収されない糸」は体内で溶けないため一生残るものです。ゆるんではいけない血管などに使用します。
また糸はその作り方により「編んである糸」と「編んでない糸」に分けられます。「編んである糸」は、細かい糸を何重にも重ねて作られています。たこ糸や髪の毛の三つ編みのイメージです。結ばれた後にほどけにくい特徴があります。「編んでいない糸」は、その名の通り1本の糸です。そうめんのようにつるつるしているため、組織を通過するときの抵抗は少ないのですが、しっかり結ばないとゆるんでしまいます。編んである糸に比べ、糸自体に菌がつきにくく、感染に強い特徴があります。
太さはいろいろ
糸の太さも使用する場所で様々です。一番太いものが「6号」という単位で、1号小さくなるごとに細くなり、1号より細いものは0号で、これは1-0とも呼ばれ、2-0、3-0、4-0という順番に細くなっていきます。
「材質」・「構造」・「太さ」、これに「針の大きさ」など組み合わせると、膨大な種類の糸が存在し、手術室の棚には常に糸の箱が積み重なっています。
心臓の手術で使う糸
心臓血管外科で使用する糸は1号から8-0の間です。手術の内容によって様々ですが、端にあらかじめ「針」がついている糸を使用して組織を縫います。「冠動脈バイパス術」という心臓の血管をつなぐ手術では、7-0や8-0を使用します。上の表にあるように、7-0は直径0.05mm、 8-0は直径0.04mmという非常に細い糸です。日本人の女性の髪の毛が直径0.08mm程度ですので、髪の毛の半分程度の太さの糸で心臓の血管をつないでいることになります。
糸が見えなくて引退
そのため肉眼では糸を見ることはかなり難しく、術者は顕微鏡のように2~4倍に拡大する眼鏡をかけて手術をしています。「拡大鏡」といいます。糸が見えなければ手術になりませんからね。でも手渡す看護師は拡大鏡などをつけていません。以前に8-0糸が見えなくなったら引退すると言っていた先輩もいました。
外科医は手術部から目をそらすことができないことも多く、手だけ出して手術器械を受け取ります。この器械が流れるように受け渡されるシーンは、一流のリレー選手のバトンパスさながらに美しいものです。まれに意図したものと異なる器械が手渡されると、「ちがーう!」と術者が怒り、お笑い芸人のコントのワンシーンを思い出します。
取り扱い注意! クサリガマみたいな針糸
心臓の手術では「両端に針がついた糸」を使って手術を行います。他の科の手術ではほとんど使用しない糸です。また糸もそのまま渡すと、ねじれてしまうので、しっかり伸ばして渡す必要があります。糸も細ければ針も小さく、使用する糸の本数も多いため、返ってきた針の数を数えながら、次の糸を準備します。また針を持つ器械を「持針器」といいますが、持針器ではさむ針の角度は、次に術者が縫おうする組織の「針刺入の角度」を予想して微調整します。器械を出す看護師は常に大忙しです。心臓の手術に入るためには、様々な科の手術に慣れることが必要です。
糸の強さ
みなさんが思っているよりも糸は強いと思います。大動脈を縫う糸がどれくらい強いか実験しました。
針を床に落とすと・・・
針が小さいため、万が一床に落ちると簡単には目視できず、スタッフ総出で探します。磁石を使って針を探すこともあります。銀行で1円でも合わないと仕事が終われないと同じで、針の数が合わないと傷を閉じることができません。手術部の看護師は、安全にそしてスムーズに手術が進むよう、針・糸を適切に管理しています。